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2016年11月12日 更新 | 27,689 views

学生時代「大仏」と呼ばれた私が、30年かけてたどり着いた命がけのダイエット[体験談]

学生時代、実の親から「大仏」と呼ばれていた私。それは丸く太った体型と細い目もとが由縁です。お見合い連敗したことをっきっけに、「絶対やせる!」と決意しました。

私は、生まれたときは2,300グラム程度の小さい赤ちゃんでした。

そして、小学生6年生になるまでは、身長は高くても、体重は平均値でした。

ただ、私は父親に似て、胴長で手足が短く、スタイルが悪かったのです。顔立ちも、糸のように切れ長の釣り目で鼻ペチャでしたから、見栄えがよくありません。

何しろ、転んだときに、鼻ではなく頬をすりむいたくらいですから……。いかに鼻が低かったか、おわかりになると思います。

私の見た目の取り柄は、色が白いことだけでした。

それに比べて、歳下の妹は母親似で、手足がすらりと長く、くっきりした二重瞼の大きな目で、可愛いと評判の子供でした。

「ペンギン」「大仏」と呼ばれた子ども時代

小学校の頃から、父や母は、私を「ペンギンちゃん」とか「大仏さん」とか呼ぶようになりました。

母は「ペンギンは、手足が短くて可愛い」と言いますが、父は「おまえの顔は、奈良や鎌倉の大仏にそっくりだよ」と言うのです。私は「大仏さん」と呼ばれるのが大嫌いでした。

小学生の終わりから中学生の初めにかけて、私は膝を悪くして運動ができなくなりました。身長が急に伸びたため、骨と筋肉のバランスを崩したそうです。

運動ができないのに、従来と同じように食べていたので、中学生の夏には、丸々と太ってしまいました。ぽちゃぽちゃした胴体に短い手足がついているので、まさにペンギンです。顔もますます大仏に似てきました。

膝が治ると、母は「運動しなさい」と言うのですが、運動神経が悪くて、運動が苦手な私。学校の体育の先生もあきれるほどなので、体育の授業が苦痛でした。

妹は運動神経がよく、体育の先生のお気に入りです。

私と妹は、小学校から同じ私立学校に通っていましたから、教わる先生も同じです。妹は「あんたの姉さんはダメだね」と体育の先生に笑われたそうです。

高校に進むころには、すっかり太ってしまいました。160センチ63キロですから、たしかに太りすぎです。一方妹は160センチ45キロで、スタイル抜群でした。

成績トップでも、男にはモテない

胴長短足でデブ、顔は大仏、運動はまるでダメとなると、勝負するには勉強しかありません。

私は読書が大好きでした。読書嫌いの妹の読書感想文は、すべて私の代筆です。そんなことから「容姿の悪さは頭でカバーすればいい」と思いつきました。

高校1年の秋頃から、私は一生懸命勉強しました。教師になりたかったので、教育学部をめざしました。

通っていたのは、小学校から大学まで続く一貫教育の私立校ですが、進学には厳しい面がありました。

平常の成績に加えて、進学試験の成績で合否を判断されます。教育学部は志望者が多く、難関でした。

そんななか私は、進学試験トップの成績で教育学部に入りました。うれしかったし、生まれて初めて、自分に自信が持てました。

「よし! これからは、頭で勝負してやるぞ!」と、自分に誓いました。

私は真面目に勉強しました。おかげで学部トップの成績を取り、特待生になれました。大学の授業料が全額免除されたのです。特待生になると、父も大いに喜び、褒めてくれました。

しかし、成績はよくても、顔もスタイルも悪いと、男子学生は見向きもしてくれません。あちこちの大学との合同コンパやダンスパーティに出かけましたが、ボーイフレンドはひとりもできませんでした。

男子学生が近づいて来るのは、「ノートを借りたい」「レポートの代筆をしてほしい」「わからないところを教えてほしい」というときだけです。

私は小学校教諭の資格を取るために勉強していましたが、頼まれれば、どの学部学科でもレポートを書きました。法学部経済学部、国文学科、ドイツ文学科などです。

人から頼りにされるのがうれしくて、妹の友達や他の大学の学生のレポートまで、何でも引き受けました。

女は中身より見た目……?

そうやって、学生時代は、顔やスタイルの悪さを勉強でカバーし、自分をごまかすことができました。「人間は、外見より中身が大事」と、自分に言い聞かせていました。

父母は運動の苦手なことを心配して、私にテニスをさせたり、水泳を習わせたりしましたが、どれもコーチがあきれて見放されてしまいました。

でも幸い、大学に入って始めた日本舞踊が、性に合ったのか、師匠が異常に我慢強かったのか、続けることができました。おかげで体重も60キロ前後まで落ちました。

大学を卒業する頃には、私は少し自信ができていました。

しかし、その自信は、あっけなく砕け散りました。

大学卒業と同時に、父母は私の婚活を始めました。今から45年も前ですから、婚活はお見合いが主流です。

世話好きなおばさんが暇つぶしに縁談をまとめるものから、なかば職業的に縁談の世話をする仲人まで、「仲人おばさん」がたくさんいました。

父母は、あちこちの仲人おばさんに、私の縁談を頼みました。

「あらァ、太っていらっしゃるのねえ」

「足が太いと、それだけでお見合いを断る男性もいらっしゃるのよ」

「お顔……整形なさる気はない? 目を二重にするだけでも違うのよ」

 母に連れられて挨拶に行くと、学歴も資格も見ることなく、容姿だけが問題にされました。

「女は性格が良くて、家庭的なのが一番だよ」

「返事のいい女は、返事美人と言って、人に好かれるよ」

「品行が悪いと、いいところへお嫁さんに行けない」

父母の言うことを信じて、私は、洋裁、料理、お茶、お花とひと通りの花嫁修業をし、夜遊びなどもしませんでした。

でも、仲人おばさんの言うことはまったく違いました。

「今の女性は、自動車の運転とゴルフができなくてはいけないのよ。趣味は日本舞踊と読書? なんだが古臭くて陰気だわね」

私は、運転免許は取得していましたが、ゴルフはまったくできませんでした。

それでも、父母が頼みこんだので、お見合をすることになりました。

お見合いは地獄でした。

スタイルの悪いのをカバーしようと和服で行けば、「堅苦しくて陰気」と断られました。

できるだけ可愛いドレスを着ると「足が太いのに、似合わない派手な服を着ている」と断られました。

ダイエットもしましたが、せいぜい58㎏までしか落ちません。

毎週のようにお見合し、毎週のように断られました。

「平安時代に生まれていたら、光源氏からプロポーズされたわよ」

結婚が決まらず、ため息をつく母に、私はよく言ったものです。平安時代は丸顔、色白、糸目が美人の条件ですから、小野小町も私のような顔をしていたかもしれません。

そう思って自分で自分を慰めるのですが、気分は少しも晴れませんでした。

痩せたら、生理がなくなった

10回ほどお見合いをして、やっと「いい男性」に巡り会えました。背は高くて、なかなかハンサムです。

勤め先は一流大企業で、10歳年上。少し頭頂部が薄いけれど、私にはもったいないような相手でした。

とんとん拍子で縁談が進み、結納の日取りを決めるまでになりました。

そのとき、彼に愛人がいることが、わかったのです。

銀座の女性で、子供が産めないので結婚できないそうです。彼は「さえない女と結婚すれば、愛人がいても文句を言わないだろう」と、私との結婚を決めたそうです。

父の行きつけのクラブのママさんが、彼の愛人の親友で、父に教えてくれました。

私はショックを受けました。結婚する気などなくなりました。

それでも、父母は縁談を持って来て、お見合いをさせました。私は、ダイエットするのも嫌になり、体重は60㎏前後に戻りました。

妹も大学卒業間近になり、母は妹の見合写真を仲人おばさんに渡しました。

「ミス・キャンパス」と言われるほど美人でスタイル抜群ですから、仲人おばさんは大乗り気です。 私とお見合いした男性が妹の写真を見せられ、「妹さんとなら、即OK」と言ったそうです。仲人おばさんから、この話を聞かされて、私は再び大ショックを受けました。

「本気で痩せてやる!」と、決意して、ダイエット教室に通い始めました。

Mさんという女性インストラクターが開いている教室で、「体操と食事制限で痩せる」というものでした。

Mさんは、糖分と脂質を徹底的に制限しました。間食は厳禁で、夕食は夜6時までに済ませます。食事の量もかなり減らされました。高タンパク質、低カロリーの食事です。

体操教室に週2回通い、日本舞踊のお稽古に週3回通いました。日舞の稽古場には5時間ほど、踊り続けました。   そんなハードな生活をしたんです、今までにないほど痩せました。

2か月間で10キロ近く体重は落ちていました。洋服のサイズも13号から9号になりました。ウエストも65センチになりました。でも、足はいっこうに細くなりません。

体操と日本舞踊のおかげで、筋肉質になっただけです。

しかも、ダイエットを始めて1か月、体重が落ち始めると、生理がなくなりました。

Mさんに相談すると、「ストレスのせいだから、心配ない。とにかく痩せることが第一」と言われました。

体重は52キロまで減ると、それ以上は落ちなくなりました。もっと痩せるには、さらに食事制限が必要です。

生理が止まったのが気になるので、現状維持にとどめました。

でも、生理が止まったまま、10か月ほど経ちました。

体重は52キロにとどまっています。生理のないのを心配して、母が医者に相談すると、ホルモン剤の注射、または服用を勧められました。

けれど、ホルモン剤を使用すれば、太ることがあると言います。

私は治療を拒否しました。せっかく痩せたのに、また太るなど、どうしても嫌でした。「生理がこない」ことより、「痩せる」方が大事でした。

リバウンドしたら、生理が戻った

しかし、痩せたからといって、美人になるわけではありません。陽気な人好きのする性格に変わることもありません。

お見合いは失敗続きです。

その間に、妹の縁談がまとまり、3月の卒業と同時に結婚しました。相手はエリート営業マンで、父は大満足でした。

私は、やけになっていました。

お見合いも渋々出かけるので、まとまるはずがありません。ダイエット教室もやめてしまいました。父は怒り、母は心配しておろおろしました。

幸い、暇つぶしに始めた学習塾が軌道に乗り、そこそこの収入を得られるようになりました。安定収入があるので、父母の顔色をうかがうことなく、気ままに遊ぶこともできました。

もともと食いしん坊ですから、すてきなお洋服を買うより、おいしい物を食べる方が楽しみです。旅行に出かけても、土地の名物は見逃しません。

リバウンドするのに3か月とかかりませんでした。   体重が60キロを越えて間もなく、生理が再開しました。

私は体重54キロを切ると、生理がこなくなってしまうのです。この後、何回かダイエットをくり返して、わかりました。

私は学習塾の経営に没頭しました。

父は激怒しましたが、縁談には耳を貸さなくなりました。

私は疲れてしまったのです。お見合をして、相手に気に入られるために、お化粧や服装に気を遣い、相手の趣味や興味に話題を合わせ、陽気で可愛い女性を演じることに、心底うんざりしていました。

私は「一生独身でもいい」と思い始めました。

「結婚できなくても、かまわない」と思ったときから、私は自由になりました。

仕事をするのも、休暇旅行に出るのも、趣味に熱中するのも、誰に気兼ねもいりません。何を着ようと、どんな髪型をしようと、私の自由です。

素顔になって日々を過ごすうちに、特にダイエットしたわけでもないのに、体重は58キロに減りました。「スタイルがいい」とは言えませんが、11号の既製服が着られるようになっただけで満足でした。

ときどき、思い立ってダイエットをすることもありましたが、「54キロを割ると生理が止まる」ことがわかり、いつの間にか、成り行き任せになりました。  

中年太りはウエストに来る

私は陽気なハイミスになりました。

学習塾は順調に発展し、独身貴族の生活を満喫しました。   妹は離婚しました。

妹の夫は、子どもが生まれてからも浮気癖がなおらず、妹は子供を連れて戻って来ました。妹は心身ともにボロボロになっていました。

妹の離婚が成立して数年後、父は進行性の胃癌で亡くなりました。   母と妹とその娘、そして私の女四人の生活はのんきで気楽でした。

妹は離婚の傷も癒えて、若さと美貌、出産前のスタイルを取り戻しました。

私は46歳になり、更年期に突入しました。

40歳を過ぎて、私と妹はウエストが気になってきました。特に、私は44歳頃から体重が増え出し、ウエストが75センチを越えました。45歳の春には、ウエスト86センチ、体重66キロと、今までになく太ってしまいました。

妹はウエスト56センチを保っていたのが60センチ近くなり、スカートが入らなくなって慌てていました。

私達は相談して、通信販売の「ウエスト引き締めコルセット」を買いました。

きついコルセットで、ジッパーがなかなか上がりません。妹が私のお腹を足で押しこくってジッパーを締めました。私のお腹は妊婦さんのように突き出ていたのです。「皇帝ペンギン」というニックネームがぴったりの体型です。

鏡を見ても、我ながらウンザリします。「ウエストゴムのスカートやパンツをはけば、いいや」と思ったら、それこそ「おばさん」になってしまいます。

「おばさん」とは、「他人の目にどう映るか」を気にしなくなった女性です。まだ「おばさん」になりたくないので、何度目かのダイエットに挑戦しました。

私は、独身のまま中年になりました。それだけに「あんなブスだから、結婚できなかったのだ」と思われたくありませんでした。ブスでもデブでも、それなりに「おしゃれな中年女性」でいたかったのです。

間食を止め、御飯は朝昼晩とも一膳ずつ、揚げ物など油っこい料理を避けて魚を多く食べるようにしました。好きな晩酌も1週間に2日だけ、ワインならグラス1杯、日本酒なら1合と決めました。

若い頃に間食の習慣はやめていましたし、前々からボケ防止で青魚を食べるように心がけていたので、ダイエットは苦痛ではありませんでした。

夏には体重も62キロまで落ち、顎から首、肩の線がすっきりしました。顔も少しほっそりとしました。しかし、ウエストは83センチより細くなりません。

「中年太りはウエストに来るのよね」

その友人達の言葉に納得して、現状維持に努めることにしました。

50歳を目前にガンが発覚

46歳の正月半ば、暮れから風邪をひいたのが治らず、何度か吐いたりしたので、私は10年ぶりに医者に行きました。

「頑丈一点張り」ですから、小さいときから大病をしたことがありません。医者とは無縁で過ごして来ました。このときは妹の友人の女医さんに診てもらいました。

検査から3日後、その女医さんから電話があり、「すぐに大学病院で精密検査を受けてくれ」と言います。「胃の辺りにしこりがある」「腫瘍マーカーでは膵臓ガンと出ている」と、言うのです。

「膵臓ガン」と聞き、私は信じられませんでした。

もう風邪も治っています。吐き気もありません。朝から晩まで仕事に飛び廻り、土曜日曜もなく働いても平気です。

それなのに……膵臓ガン。まるで、死を宣告されたも同然です。

母は泣き、妹は私をT医大病院へ引きずって行きました。

T医大病院の消化器外科で診察を受けると、

「たしかに腹部にぶよぶよしたかたまりがある。しかし、これが膵臓ガンとは思えない。血液検査の他の数値は、全まったく問題がない」

とのことでした。

膵臓ガンが手に触るほど大きくなっていれば、ほかに末期症状が出ているそう。

すぐに入院して精密検査を受けるようにすすめられました。

MRI、CTスキャン、レントゲン写真、血液検査など、いろいろな検査を受けた結果、「卵巣腫瘍」と診断されました。消化器外科病棟から婦人科病棟へ移り、担当医も変わりました。

婦人科の教授は白髪の温厚な紳士で、若い担当医は優しくて親切でした。

「卵巣腫瘍」には悪性と良性があり、悪性ならば「卵巣ガン」です。卵巣ガンは転移しやすく、膵臓ガンと同様に完治が難しいと言われています。

「腫瘍はかなり大きく、ほかの臓器を圧迫しています。腹水も溜まっています。生理不順や頻尿という自覚症状はありませんでしたか?」

教授の言う通り、この3年ばかり、生理が遅れたり早くなったり、不正出血があったりしていましたが、私は勝手に「更年期」と決めつけていました。トイレが近く、尿漏れにも悩んでいました。これらの症状は、卵巣腫瘍によるものだったのです。

「良性でも悪性でも、卵巣腫瘍は摘出しなくてはなりません」

教授は卵巣子宮全摘出手術をすすめました。子宮筋腫もいくつかあるようで、片方の卵巣を残しておくと、腫瘍が再発する可能性もあります。

摘出した腫瘍が悪性であれば、化学療法を受けることになります。

水袋ダイエット?

私は、仕事を整理して長期入院に備えました。

「末期症状で、今年いっぱい、もつかどうか」と、消化器外科の担当医が母と妹に告げたそうです。私も薄々察していましたが、「瀕死の重症」とは思えませんでした。食欲もあり、元気でした。

ただ、入院する頃から体重が減り、手術前には56キロまで落ちてしまいました。

若い頃、無理なダイエットで生理が止まった影響が、今になって出てきたのか……。今さら悔やんでも、しょうがありません。

手術は教授の執刀で行われました。

私は麻酔室に入ったとたん、意識を失い、目が覚めると担当の先生の顔が見えました。

「すみません。手術前に、もう1度トイレに行かせてください」

私が遠慮がちに頼むと、S先生は笑いました。

「手術は終わりましたよ。腫瘍は良性でした」

腫瘍は「卵巣嚢腫」で、水のようなものが溜まっていたそうです。腫瘍そのものが5キロ、腹水が2キロありました。重量だけでいえば、双生児を出産したようなものです。

このところ体重が減ったのは、ダイエットの効果もありましたが、嚢腫(水袋)に栄養を吸い取られていたようです。

嚢腫は大きくなると、10キロ以上になることもあるそうです。教授によると、私の手術の翌日に13㎏の嚢腫を摘出したそうです。その女性患者は立ったり座ったりも不自由になっていたようでした。

合計7キロが体内からなくなり、お腹はぺチャンコになりました。

腫瘍のためにお腹がふくらんでいたので、手術後は、縫い目を中心に左右デコボコした感じになりました。

体重は49キロ、ウエストは58センチという、生まれて初めての体型です。今まで着ていた洋服はブカブカでなりました。

術後経過は順調で、手術から10日後に退院できました。あれだけ腫瘍が大きいと、ふつう術後2週間は入院するそうです。

「卵巣ガン末期で治療不可能」と断言した消化器外科の担当医は、退院前夜、憮然とした顔で病室を訪れました。

「悪性腫瘍じゃなかったそうですね」

「ええ、おかげさまで……」と、私は笑いをこらえるのに苦労しました。

私は46歳にして、やっとスリムな身体を手に入れました。

「若返りましたね」「スリムでうらやましい」などと言われ、「卵巣ガン」と宣告されたショックなど中天の彼方へ飛んで行ってしまいました。

腫瘍が栄養を吸収して育ってくれたおかげで、痩せられたのかもしれません。

「卵巣嚢腫ダイエット」あるいは「水袋ダイエット」、命がけの究極のダイエットです。

嚢腫が破裂すれば、激痛に襲われ、死ぬこともあります。

「引き締めコルセット」のジッパーを上げようと、足で腹部を押したときに、嚢腫が破裂する可能性もありました。それを知って、妹は恐怖に蒼ざめていました。  

皇帝ペンギン再び

手術して1年くらいは、スリムでいましたが、体力が回復するにつれて体重が戻りました。

50歳を過ぎて血圧が高くなり、定期的に医者にかかるようになりました。

医者は「肥満に気をつけるように」と言います。身長160センチなので、60キロまでは許容範囲です。

160センチ60キロは、大学生の頃と同じです。代謝が悪くなっているので、注意しなければなりませんが、無理なダイエットをする必要もありません。

皇帝ペンギン体型は変わりませんが、それが「私らしい姿」として受け入れることができるようになりました。

67歳になり、私の歩んだダイエットの歴史を振り返ると、健康の大切さがわかります。

無理なダイエットをして体重を落とせば、必ず身体のどこかに悪影響が出ます。その悪影響は、いつ表面化するか、わかりません。

簡単なダイエットで体重が落ちるときは、どこか具合が悪いのです。

中年以降のダイエットで注意しなければならないのは、「ガンなどの病気で痩せた」のを「ダイエットで痩せた」と勘違いすることです。

肥満は病気を引き起こしますから、太りすぎは注意するべきです。

しかし、誰にでも「その人に合う体重」があります。私の場合は58キロ前後が、ベストコンディションです。

ベスト体重は、スリムなスタイルではないかもしれません。でも、「それが私なのだ」と受け入れてしまえば、気分が楽になります。

私は自分自身を受け入れるのに、50年の歳月がかかりました。

ちなみに、腫瘍マーカーでは、膵臓ガンと卵巣腫瘍が混同されるようです。更年期以降の女性が、腫瘍マーカーに「膵臓ガン」と出た場合は、卵巣腫瘍の可能性もあるので、婦人科を再診することをおすすめします。

written by NICOLY編集部

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