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2016年04月09日 更新 | 17,280 views

父の死から始まった悲劇。髪の毛を抜くことで精神の安定を保っていた私 [体験談]

大好きな父を事故で亡くした私たち家族は母の地元へ引っ越しました。転校した学校にはうまく馴染めず、孤立する日々。ある日、妹が誤って手に火傷を負ってしまい、私は母に「何でちゃんと見ていなかったんだ」と激怒されました。その日以来、私はストレスを感じると自分で髪の毛を抜くようになってしまったんです。

家族で旅行を楽しんでいる様子出典:We heart it

私の家は、両親と私、三歳年の離れた妹の四人家族でした。

父の仕事が休みの日には家族揃って外へ出掛けることが多く、ドライブが大好きだった父の運転する車で、四国や和歌山、広島、京都など、さまざまな観光スポットへ連れていってくれたことは、大人になった今でも私の記憶に楽しい思い出として鮮明に残っています。

私は、優しくて遊び心のある父のことが大好きでした。

次の休みはどこへ連れていってくれるのか、私と妹は、いつも楽しみにしていました。

ある年のお正月の連休には、父が私たち姉妹を広い公園に連れっていってくれて、凧揚げを教えてくれました。

ただ凧を上げるのではなく、父に教えてもらいながら凧を一から手作りして、完成した凧を空に向かって飛ばしました。

素晴らしい経験をさせてくれたことは感謝の気持ちでいっぱいです。大人になった今でも昨日のことのように思い出せることばかりです。

そんな大好きだった父との別れは、突然、訪れました。

私が小学生のとき、父は車の事故に巻き込まれて、そのまま帰らぬ人となりました。

夜、遅い時間になっても帰ってこない父の事を心配していた母の元に、一本の電話がかかってきました。

それは、警察からの電話でした。

父が交通事故に遭い、搬送先の病院で亡くなったという連絡が入ったんです。

当時、私は小学生でしたが、父と2度と会えないということはすぐに理解でき、自然と涙が溢れていました。

病院内には私の泣き声が響き渡っていました。

新しい生活

自分の部屋から見える景色出典:We heart it

父の葬儀を無事に終え、母と私と妹の、三人だけの生活が始まりました。

それまで住んでいたのは、父の勤めていた会社の社宅だったため、出ていくことを余儀なくされました。そこで私たちは母の故郷に引っ越すことになったんです。

母のお父さん、つまり私にとってのおじいさんは、私が生まれる前に亡くなっており、母のお母さん、私たちにとってのおばあちゃんは、当時80歳近くで体調があまりよくありませんでした。

そのため、母は、子育てと仕事を両立しながら自分の母親の面倒も見るという、過酷な日々を送っていました。

母はとても大変だったと思いますが、弱音は決して吐かず、泣き顔も私たちには見せませんでした。

私と妹は、突然転校することになり、仲の良かった友人達とお別れをしました。私は、新しい学校で友達が出来るかどうか不安でいっぱいでした。

転校初日は、転校生が物珍しいのか、話しかけてきてくれる子もいましたが、最初のうちだけでした。

「お前、お父ちゃんいないん? 俺の母ちゃんが言ってた。お前のとこ、父ちゃんいなくて可哀想だって」

と、言われることもありました。

田舎は良い噂も悪い噂も一瞬にして広まるので、ひとりが知っているということは、みんなが知っていることを意味します。

最初から歓迎されていない雰囲気に、私は完全に心を閉ざしてしまいました。

妹も転校初日からいじめられたらしく、私が妹を守らなければいけないと、この時の私は強い使命感のようなものを感じました。

母は毎日とても忙しくしていました。

仕事と家事を両立しながら、合間におばあちゃんの面倒を見るという、ハードな生活。家にいる時はいつも疲れた顔をしていました。

そんな母を見ていた私は、学校でどんなに辛いことがあったとしても、母に心配をかけないように母には一切話しませんでした。

私のストレスの発散の仕方

上を向いている鼻の高い女性出典:We heart it

私が小学校6年生のときの話です。

この頃、妹の食事や洗濯、掃除などは見様見真似で私も手伝えるようになっていました。

土曜日や学校が早く終わった日の昼食は、妹と自分の分を私が作っていました。

簡単なものから手の込んだものまでひと通り作れるようになっていました。

妹の誕生日になると、誕生日ケーキや唐揚げを作りました。妹が美味しいと料理を食べてくれているときが、唯一幸せを感じる瞬間でした。

ただ、料理をした後の後片付けはとても苦手で、母が仕事から帰ってくるまでに片付けが終えられていないことがしばしばありました。

そんなときは、母に凄く怒られました。

片付けられないなら料理をしてはいけないと言われたので、それだけは嫌だと思い、母が帰ってくるまでに必死で片付けをするようになりました。

学校へ行っても友達がいないので楽しくなく、早く家に帰って料理をしたいと思っていました。

学校が終わると、すぐに帰る支度をして夕飯の買い物をして、家に帰って晩御飯を作っていました。

ある日、妹が「お姉ちゃんのシチューが食べたい」というので、学校が終わると、スーパーでシチューの材料を買って急いで家に帰りました。

楽しみに待つ妹の為に、腕に寄りをかけて、シチューを作りました。

出来立てのシチューを取り皿に分けて、妹に差し出すと嬉しそうにスプーンを持って、食べ始めました。

その時です。

「熱いよ~、お姉ちゃん」

と、大きな声で妹は泣き出しました。

出来立てのシチューを妹は手の上にこぼしてしまったのです。

妹の手は、みるみるうちに真っ赤に腫れあがっていきました。

私は慌てて妹を洗面所まで連れて行き、蛇口で冷水を出して、冷やそうとしました。

洗い場で、手を冷やしている最中も、妹は「熱い。熱い」と泣き止まないので、お医者さんに連れていかなければいけないと思い、慌てて母に電話しました。

母は忙しい仕事の合間を縫って家に戻って来てくれました。

そして、妹を連れて病院へ向かっていきました。

私は家で待っている間、火傷を防げなかったことに対して自分を責め続けていました。

母と妹が帰ってきたのは、それから二時間後のことでした。

妹の手にはぐるぐると何重にもガーゼが巻かれていて、痛々しい姿で戻ってきました。

大事には至りませんでしたが、少し火傷の跡が残るかもしれないと、お医者さんに言われたそうです。

母は、私の顔を見ると「どうしてお姉ちゃんなのに、妹の事をちゃんと見ていなかったの」と、大きな声で怒りました。

私も妹に対して悪かったと思う気持ちもありましたが、妹のためにシチューを作ったのに、どうしてここまで怒られなければならないのかと、母は理不尽だと感じました。

その日は部屋に閉じこもり、一晩中泣き続けました。

泣いているとき、自分の頭上の髪の毛を触りながら、毛を抜いていました。

この日をきっかけに、私は何か嫌なことがあるたびに自分で自分の髪の毛を抜くようになりました。

ネイルサロンの一室の様子出典:We heart it

学校では相変わらず友達が出来ず、楽しいのは料理をしている時だけでした。

母はこの頃になると、些細なことでもきつく怒るようになっていました。

私は、子供ながら母に対してストレスを感じていました。

たとえば、冷蔵庫からジュースを取り出すときに、誤ってジュースを床にこぼしてしまうと

「何でこぼすの!」

と、きつい口調で怒鳴られました。

あるとき、妹と2人でテレビゲームを楽しんでいると、母にゲームをやり過ぎだと言われて、ゲームの本体を捨てられました。

またあるときは、部屋を片付けていないと部屋に散らばったおもちゃやランドセルを、一斉にゴミ袋に詰めて捨てようとしたこともありました。

そういう時は母に言い返してもさらに怒られるだけだと思っていたので、私はぐっと堪えて、髪の毛を抜いていました。

床屋さんに行ったときのこと。

そこは、母と同じ年代の女性店主が、一人で切り盛りする街唯一の床屋さんでした。

頭を洗ってもらえて、気持ちがいいので私は床屋さんに行くのが大好きでした。

この日も髪を軽くカットして、洗ってもらうように頼みました。

カットしながら何気ない会話をしていると、お店の人のハサミを持つ手が突然、止まりました。

「どうしたんですか?」

と、聞くと

「〇〇ちゃん、頭の上に500円玉くらいの大きさのハゲが出来ているのを知っている?」

と、尋ねられました。

「知らない」

と答えると、彼女は心配した顔で

「もし髪の毛を抜く癖があるなら、生えてこなくなるから抜かないようにしてね」

と言いました。

私には、心当たりがありました。

ストレスを感じるたびに髪の毛を抜いて、新しく生えてきた短い毛をさらに抜いていました。

同じ個所の毛を生えてきれは抜き、生えてきては抜き、を繰り返しをしているうちに、次第に髪の毛が生えてこなくなっていたのです。

この時、初めて髪が生えてこなくなるかもしれないという事実を知り、私はショックを隠しきれませんでした。

それでも、誰にも相談しませんでした。

私は誰にも頭のことを気付かれないように、頭上を隠すような編み込みや、トップにボリュームを持たせるようなヘアスタイルにして学校へ行っていました。

そのせいか、誰にも500円玉ハゲを気付かれることなく、学校生活を送っていました。

髪を抜くこと自体は悪い事だと思っていなかったので、なかなかその癖をやめる事が出来ず、やはり気付くと髪の毛を抜いてしまっていました。

ハゲが周囲に気付かれた

上を向いているお団子ヘアーで銀髪の女性出典:We heart it

ある日、学校の授業で運動会に向けて、組み立て体操の練習をしているときのこと。

私は、クラスの中では身長が高い方だったので、組み立て体操の土台担当になりました。

上に乗るのは、クラスでもお調子者の小柄な男の子でした。

練習中、私の上に乘ったその男の子は、いきなりゲラゲラ笑い出しました。

そして「ハゲだ!」と大きな声で叫びました。

運動会の激しい練習で、髪型が崩れてしまい、私の上にいたよき、たまたま500円玉ハゲが見えてしまったのです。

その日から、クラスのみんなから「ハゲ」という、残酷なあだ名で呼ばれ、私はひどく傷つきました。

このまま髪が生えてこなければ、ずっと学校で「ハゲ」と呼ばれ続けると思い、この日から私は髪の毛を抜く癖をやめるように、必死でこらえました。

髪の毛を抜く事でイライラした気分を落ち着けていたので、この日からどんなに辛い事があってもひたすら我慢する日々でした。

一度、抜き過ぎた髪の毛は、なかなか思い通りに生えてきてくれません。

1か月ほどして、ようやくツルツルだった頭皮に、短いツンツンとした髪の毛が生えてきました。

ここから、私と500円玉ハゲの長い冷戦状態が続きました。

頭頂は生えてくるのにとても時間がかかりました。

それまで、誰にも見られないように髪の分け目を変え、頭部を隠す髪型にこだわり続けました。

気になり過ぎて抜いてしまいたくなる事もありましたが、ぐっと堪えて、ひたすら我慢しました。

完治してから今に至るまでに思うこと

海を眺めながら微笑んでいる女性出典:We heart it

中学生になると、周りの髪の毛と違和感のない長さに揃い、二度と私は髪の毛を抜かないと誓いました。

そのころから、スポーツや趣味に没頭することで、自分のストレスを解消することが出来ました。

当時の事を振り返ると、幼いなりに、私はいろいろと我慢をしていたのだと思います。

母に対しては、私の事で心配や迷惑を掛けてはいけないと思っていましたし、妹にはよろこんでもらいたいという一心だったので、上手くいかなかったときの反動が「髪の毛を抜く」という行動に表れてしまっていたのだと思います。

当時の話を、あれから20年経った現在、母に話すと

「ごめんね。あのとき、お母さん忙しくてあなたたちに当たってしまっていたね」

と、謝られました。

500円玉ハゲの話をすると、とても驚いていましたが、申し訳なさそうな顔をしていました。

母と話をして、改めて思いました。母は母なりに苦しんでいたのです。

当時、理不尽に怒る母が嫌いだと思ってしまったこともありますが、大人になった今、私も結婚をして母になり、初めてあの時の母親の気持ちが理解できました。

Top image via Weheartit

written by ココアパウダー

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