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2016年06月07日 更新 | 10,692 views

「家族と一緒にごはんが食べたい」摂食障害と向き合う主婦の記録[コラム]

「働き過ぎで痩せちゃって」先輩の一言に憧れを抱いたのが摂食障害の始まりでした。生理は止まり、食べることに罪悪感を抱くように。仕事を退職し実家に戻ってからは、過食をするようになり、食べては嘔吐の繰り返し。10年たっても摂食障害は完全に治ってはいませんが、結婚し子供ができた今は家族と一緒にご飯を食べることが私の夢です。

摂食障害という病気。テレビでガリガリの女の子が骨と皮だけの自分の裸体を鏡に映して「もっと痩せたいの」とつぶやいている映像だったり、部屋の中でひとりお菓子やパンをむさぼる女の子が映し出されたりしている、まさにその病気です。

「うわぁ…気持ち悪い」「こんなに痩せられるもん?」「むさぼり食って犬みたい」こんな感想が正直なところだと思います。私もそう思っていました。でもまさかその摂食障害になってしまったのです。摂食障害の長い記録を告白します。

きっかけは先輩の一言

きっかけは些細なことでした。当時、私は短大を卒業し保育士として働き始め「休みなんていらない」これが口癖でした。早く仕事を覚えたくて前のめりの状態だったのですね。

がむしゃらに働いていたある日、職場で仲のよかった先輩が「ちょっと痩せたんだよね」と言ってきました。「えー痩せたの?働きすぎじゃない?!」と冗談めかして私がいうと「ほんと!きっと働きすぎで痩せたんだよー」と笑いながら先輩が答えたのです。

この会話がきっかけで「働きすぎで痩せる」ということに憧れを抱くようになった私は、ダイエットを始めました。これが摂食障害の入り口となってしまいました。ちょうど26歳のときのことです。

ダイエットをはじめる

ダイエットを決めた私はあらゆる方法のダイエットを試しました。基本的には食べる量を減らすという単純なダイエットです。食べる量を減らすと体重は面白いように落ちていきました。当時私は身長が155cm、体重が52kgのぽっちゃり体型でしたが、1週間くらいで50kgに落ちました。でも、ここからがなかなか落ちなかったのです。

なかなか落ちない体重を落とすために、もっと食べる量を減らし、朝食はロールパン1つと無糖のコーヒー、昼食は保育園の給食を子どもより少ない量だけ、夜はキャベツを主食にヘルシーなおかずのみにしました。総カロリーをさらに減らすと体重はまた落ちはじめました。

今振り返れば、この頃は日中も保育士として動きまわっていたし、若くて基礎代謝も高かったので、食べる量を減らせば順調に体重を減らすことができたのだと思います。でもこの順調ぶりがダイエットをさらに加速させてしまったのです。

生理が止まるも、痩せる喜びに浸る日々

順調に?進んだダイエットのおかげで、ダイエットを始めて2か月くらいで体重は45kgに落ち、この頃には順調にあった生理も止まってしまいました

でも、周囲からは「痩せたね」と言われ、細身の服もなんなく入るようになり、気持ちはかなりハイになっていたと思います。食べないことが苦ではなくなり、むしろ食欲をコントロールできたときの達成感に喜びを感じていました。

精神の崩壊

半年ほど経ち43kgに落ちた頃から普通の精神状態ではなくなってきました。食べ物のことばかり考え、一口であってもそのカロリーがわからないと食べることができなくなりました。○○してはいけない、○○じゃないといけないとこだわりも強くなり、イライラすることが増えました。仕事がある日はいいのですが、休日何もすることがないと空腹に耐え切れなくなり、スーパーに行っては揚げ物やドーナツをジーと見て過ごしていました。

40kgを切るようになってくると、食べることが怖くなり、食べてしまったときの罪悪感で気持ちが崩壊しだしました。抑うつ状態になり、こだわりもさらに強くなりました。決まったメーカーの冷凍かぼちゃばかりを食べ手が黄色くなり「黄疸かもしれない」と健康診断で引っかかったことや、仕事が定時にあがれないとイライラし、時には我慢しきれず仲間を放って先に帰ったこともありました。イライラして家の壁に「死ね」と自分をののしったこともありました。

病院めぐり

こんな状態が耐えられなくなり、ようやく自分がおかしいということに気づき始めました。ただただどうにかして欲しい、その思いで摂食障害専門の病院を探すことにしました。

ようやく見つけた1件の病院。待合室にはあきらかにやせ細った女の子がお母さんと共に座っていました。「私もこの子とおんなじなんだ」そう思ったら急に客観的に自分を見ることができて、治さなきゃと思いました。

長い時間待ってようやく診察室へ。医師に「なんで食べられないの?」そう聞かれました。聞きたいのはこっちだよ!と思いましたが、流れ作業のように診察され、ただみじめな思いをしただけでした。

2件目の病院は心療内科。まるで幼い女の子でも相手するかのように優しい口調で、話しを聞いてくれました。でも、それだけです。何も解決法は見出されませんでした。どうしたら普通にご飯が食べられるのか、どうしたら体重を気にしないでいられるのか、ただ、それが聞きたかったけれど叶いませんでした。

他にもたくさん病院を巡りました。ネットで摂食障害の治し方を検索しました。なぜ摂食障害になるのか、どうしたら治るのか本を読みあさりました。でも、前には進むことができなかったのです。

家族

半年ちょっとで10kg以上落ち38kgを切るようになると、さすがに親が心配しだしました。当時私は一人暮らしをしていましたが、家に帰ってくるように強く言われました。摂食障害の本を読んで、少なからずその原因が幼い頃の家庭環境にあると思っていた私は、言葉には出しませんでしたが、親を毛嫌いし家に帰ることを拒否し続けていました。

でも帰らざるを得ない状況が出てきたのです。仕事中、保育園での昼食(給食)が食べられなくなったのです。子どもたちと一緒に食事を楽しむことも保育士として大切な仕事です。でも、それすら怖くてできなくなっていたのです。

そしてある日一人の男の子に言われました。「せんせー細いなぁ」ハッとしました。子どもの言葉にお世辞はありません。あー、私はほんとに痩せてしまったんだな、心底思いました。このことがあり、私は保育園を退職し、実家に戻る決意をしました。ダイエットを始めたあの日からちょうど1年くらいのことでした。

私の家族は少し複雑で、父と母は再婚同士です。私と兄が母親の連れ子、そして弟が父の連れ子でした。父は子どもみたいなタイプで車をすぐ買い替えたり、趣味にすぐお金を使ってしまったり、弟と2人で暮らしていたときも育児はせず放ったらかしだったようです。

反対に母親は計画的に確実に物事をこなすタイプ。責任感が強く、教育にも熱心、一人で店を切り盛りしやり手という感じです。母親は父親のダメぶりに母性本能がくすぐられたのでしょうか。全く正反対な二人が再婚することになったのは、私が小学校3年生のときでした。

父母の結婚生活がうまくいっていたのはほんの少しの間だけでした。教育熱心で子どもに対して○○であるべきという持論を持つ母は、今まで放ったらかしにされていた当時小学校2年生の弟に厳しい教育をし始めました。当然弟は反抗。母親は容赦なく厳しく育てる方針を貫きぬき、弟が嘘をつけば、お仕置きとして玄関に立たせたり玄関で寝かせたりしました。

まるで鬼の形相でなぜ嘘をついたのか問いただしました。そんな母親を尻目に父親はあまり関与せず、自分の子どもなのに無関心でした。父と母は噛み合わない考え方に喧嘩ばかりしていました。

私はただそれが悲しかったです。母親には弟に優しくして欲しかった。父親と仲良くして欲しかった。家族みんながみんなを思いやって仲良く暮らしたかった。でもその願いは叶わず、家族として機能することはありませんでした。

過食・嘔吐

実家に帰った私は、相変わらずこだわりの食生活を続けていました。こんにゃくやところてんを大量購入して、お店の人に変な目で見られることもしばしばでした。そんなある日、少しだけならいいかと思って買った100円のクッキーが我慢できず、一袋全部食べてしまったのです。とんでもない罪悪感に襲われ、とにかく指を口に中に入れて吐いてしまおうと思いましたがうまく吐けず、悔しさで泣き崩れました。

その日から食欲が抑えられなくなり甘いものや脂っこいものが食べたくて我慢できなくなりました。食べては吐こうと努力するものの吐けず、罪悪感で抑うつ状態になる。そんな日々が半年ほど続き、体重は38kgから43kgに増えていました。この頃はもっぱらうまく吐く方法、そればかり調べていました。抑えられない食欲は私の意志ではすでに止められなくなっていました

過食を始めてしばらくすると、少しずつ吐けるようになっていきました。吐くのは苦しいけれど、食欲を抑えられないのです。吐くことを覚えた私は、どんどんと食べる量が増えていきました。一度に菓子パンを4~5個、から揚げや餃子など脂っこい惣菜を3~4パック、ラーメン、白ご飯、スナック菓子、ジュース、ありとあらゆるものを詰め込みました。

吐きやすいように水分を適度に取りながら、また吐きにくいものは避けるなど知恵もついてきて、自室でこもりながら過食嘔吐する姿は、長く暗いトンネルの中でさまよう異常者でした。

もう一つの顔

保育士を辞めてから過食嘔吐に明け暮れた日々が続きましたが、私にはもう一つの顔がありました。それは看護学生です。保育士をやめるとき、これからは母親側のケアをしてみたい、そう思って助産師を目指す決意をしていたのです。裏側では摂食障害と戦いながらも何かに挑戦したいそんな想いがあり、猛勉強の末、保育士を退職すると同時に看護学校に通い始めたのです。

27歳で入学した看護学校は10歳も歳の離れた若い子がいましたが、たくさん刺激を受け楽しかったです。拒食から過食嘔吐になり、食べることに罪悪感を覚えていた私は、みんなと一緒に食事ができない、人前でご飯が食べられないなどの症状もありましたが、それなりに看護学校と両立?することができ、有意義に過ごすことができました。そして何より過食嘔吐で自己否定がひどかった私が、唯一自信をもって過ごすことができる居場所でした。

看護学校を無事卒業した私は助産学校に進み、助産学校も無事卒業することができました。看護学校と助産学校合わせて4年もの歳月が流れていましたが、相変わらず過食嘔吐は続き、助産師として働き始めた30歳の頃には過食嘔吐が習慣になっていました。

雪解け?

助産師として働き始めた私は、周りから「ご飯を食べないやつ」として見られていました。何かの集まりがあっても一切手をつけなかったからです。詳しい病気の話しは誰にもしてはいませんでしたが、それなりに食べない(食べられない)こと理解してくれ、仲間として迎え入れてくれたことは有難かったです。

家族も同じでした。食べられないことは知っていましたが、過食嘔吐のことは家族にも黙っていました。でも特に何も言われず「食べろ」とか「太れ」とかお小言を言われなかったのは今となってはよかったと思っています。

なにも変化がないと思いつつも、時が経ち少しずつ気持ちに変化が出始めました。まず、過食嘔吐はしていたものの全部は吐ききれなかったので、体重が少しずつ戻っていきました。27歳で最低体重の38kgになりましたが、助産学校時代の29歳の頃には46kgまで回復していました。もちろん体重が増えるたびに恐怖におののいていましたが、それも1年2年と経つうち、まぁいいかと思えるようになったのです。

再び生理がやってきた

体重が増えることを受け入れられるようになったきっかけは、生理の再開でした。体重が46kgまで回復すると、突然生理が再開したのです。それはもう嬉しかったです。お赤飯を炊かなくちゃという気持ちがわかります。なんというか、生きてる、そう思えたのです。特に治療していたわけではなかったのですが、体は正直なものですね。ちゃんと体重が戻って妊娠できる体になったとき、生理が再開するのです。

子どもを産んだ今、当時を振り返ってこの時本当に生理が再開してくれて良かったと思います。もし生理が再開しなければ、もし再開しても長年無月経だった影響が出ていたら、今目の前にいる娘とは出会えなかったと思うと、当時のことをよく後悔するのです。

そして今、

摂食障害になって10年、今は体重も48~50kgで落ち着きましたが、今でも過食嘔吐は続いています。その間夫と結婚し、妊娠、出産した今でも続いています。妊娠中も止められませんでした。でも、毎日ではありません。全然しないときもあれば、食べたい衝動にかられるときもあります。でもまぁ…いっか。今はそんな感じです。娘が分かるようになるまでには止めなきゃなーと思いつつ癖になっていて止められないときもあります。今でも人と一緒に食事するのは抵抗がありますし、一人前は食べられません。

でも私なりのスタイルで毎日を楽しんでいます。いつも優しく横にいてくれる夫と娘が今の私の支えです。体重とか見てくれとか今はどうでもよくなりました。今の私を受け入れてくれる家族がいるから、それでいい。そのままの自分をまるごと愛してくれる存在があるから、私も今の自分を好きでいられる、そう思えるようになりました。

振り返ってみて

今となってみて、私が摂食障害になった原因はよくわかりません。そして、症状が落ちついてきたのもなぜなのか自分でも分かりません。ただ、昔は自分が嫌いで、愛されている実感が持てませんでした。だから誰かに愛されたくて一生懸命働いたり、自分を変えようとしたのかもしれません。

でも時が経ち、あんな家族だったけど、こんな私だけど、愛されていたのかなぁと思えるようになりました。少し遠回りしたけどそう思えるようになったのは、言葉はなくてもいつも家族や友が傍にいてくれたからなのかなと思っています。そして今は夫と娘が「愛していること」をちゃんと言葉や態度で伝えてくれます。

「あなたは愛されている」この想いをちゃんと大切な人に伝えること、言葉にすることって本当に大切だと思います。ちゃんと伝えなきゃ、伝わらなきゃ意味がないと思います。今大切な人がいる方は家に帰ったら愛していることをちゃんと伝えてあげてください。言葉が無理なら抱きしめて、抱きしめるのが無理なら笑顔を。

今、私は娘の育児日記を将来娘に渡すことを前提に書いています。写真も一年に一回スタジオアリスで撮ってアルバムにし始めました。母子手帳は妊娠中から細かく書いて小学校に入ったら見せてあげようと思っています。娘が私たちに「愛されていること」をかたちにしたくて…。

今の夢は家族3人で3食一緒に食べることです。今はまだ一緒に食べられなくて一人で食べることもあります。なので、一緒に食卓を囲むのが今の夢です。一緒に食べると本当に楽しいです。私たち夫婦が食事をしていると、まだ同じものを食べられない8か月の娘がジーと見てくるのもくすぐったくて好きです。家族のために早く前に進みたいそう思いながらも、今はゆっくり…歩いています。

NICOLY:)編集部員がメディカルダイエットに挑戦!

※ 記事の内容は、医学的な正確性、効能、効果を保証するものでなく、かつ、記事の利用においてはしかるべき資格を有する医師や薬剤師等に個別に相談するなど読者の責任において行ってください。

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