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2016年07月01日 更新 | 3,726 views

不安神経症を抱えながらの不妊治療。私が母になるために、必要だったこと [体験談]

不妊治療をしている間、同じ病院に通う、同じ悩みを持つ友人ができました。お互いを理解しあえる最高の仲間ができたと喜んでいましたが、その中のひとりが妊娠。その友人の妊娠を素直に喜べない自分に自己嫌悪をするように。友人の妊娠を祝福できない自分に母親になる資格があるのか、自問自答してしまいました。

幸せそうな笑顔を浮かべる新郎新婦出典:Weheartit

私が結婚したのは26歳のとき。

ごく普通の年齢で、ごく普通の相手と、ごく普通に結婚をしたつもりでいました。

そして、その後は、ごく普通に子どもを産み、ごく普通に母親になるのだろうと、何の疑いもなく思っていました。

普通でないこと

体育すわりで悲しげな女性

結婚して3年が過ぎました。積極的に妊娠を望んでいたわけではないけれど、平均的な夫婦生活をもっていたにも関わらず、妊娠することはありませんでした。

夫は3人兄妹の一番上で、妹が二人います。

上の妹は私たち夫婦が結婚した一年後に結婚しましたが、すでに一児の母になっていました。

休日に夫の実家へ行くと、姑が嬉しそうに義妹の産んだ初孫を抱いていました。

私はなぜ自分は妊娠しないのだろうかと、不安になりはじめました。

まもなく三十代を迎えるという頃です。

小中学校の友達、高校時代の友達、大学時代の友達、とどの時代の友達と会っても、話題は子どもの事ばかりでした。

ふとしたことから、一番の親友だと思っていた高校時代の友人が、子どものいる別の友人とばかり会っていることを知りました。

二人とも同じ時期に男の子を産んでいます。

私はその頃、その親友とは半年以上会っていませんでした。

それを知った私は、普通に子どもを産んだ友人たちへの強い嫉妬と、足下が抜けるような不安を感じていました。

見当違いとわかっていながらも親友を恨むようになり、みんなが自分を哀れんでいるのだろうと悲観的になっていきました。

次第に、夫の実家への足も遠のき、友達に会うのも億劫になってきました。

自分が普通ではないということが、とにかく悲しくて仕方がありませんでした。

不妊治療へ

途方に暮れている女性とくまのぬいぐるみ出典:Weheartit

今の悲しみから逃れるためには、とにかく妊娠し出産することしか道がないと思い詰め、不妊治療をはじめる決心をしました。

最初は、病院へ行き治療さえすれば、すぐに妊娠できると思っていたのです。

だから不妊治療のことは、夫以外には言いませんでした。

そして夫に対しても「誰にも言わないで」と固く口止めをしました。

そして始まった不妊治療は、私が考えていたような甘いものではありませんでした。

辛く長い検査

駅のホームで涙をおさえられず泣いている女性出典:Weheartit

まずひと通りの検査をしないことには、治療へと進むことはできません。

最初にやった検査は、卵管の通り具合や子宮の形を調べる卵管造影検査でした。

この検査の結果卵管の通りが悪いことがわかり、卵管に水やガスを通す治療をしました。

卵管に造影剤、水、ガスと様々な物を通すこれらの検査や治療は、私にとってはとてもつらいものでした。

毎回吐き気がするほどの激痛で、治療のたびに二時間ほど休んでからでなければ帰宅できない辛いものでした。

次におこなった検査は、お腹に小さい穴を三カ所空けて、そこからスコープや器具を入れ、子宮や卵巣、卵管の状態を腹腔側から診る検査です。

これは二泊三日の入院をして麻酔をかけて行うもので、検査中も検査後も苦痛の大きな検査でした。

これらの検査と並行して、夫の精液検査や夫婦間の適合検査などをやり、すべての検査が終わったのは初めて婦人科を訪れてから4ヶ月も後でした。

検査はどれをとっても楽なものではなく、また、予約待ちで長い時間がかかりましたが、下った診断が「妊娠しづらいようなので、排卵を誘発しながらタイミングを計る方法を試してみましょう」というものだったことに心底ほっとしました。

「妊娠は難しい」という一番恐れていた診断をまぬがれたことで、これですべてうまく行くと有頂天になって、お祝いのケーキを買って帰ったのを憶えています。

まさかこれが長い長い治療の始まりになるとは、この時は思ってもいませんでした。

不安神経症

泣きつかれて寝てしまいそうな女性出典:Weheartit

いよいよ、待ちに待った治療が始まりました。

たくさんの卵子を育てるために、生理の終わった後1週間ほど毎日病院へ通って、ホルモン剤の注射をします。

卵巣の様子をエコーで観察し、卵が成熟したと判断すると、注射の中身が排卵を促すホルモン剤に変わり、その日の晩、夫婦生活を持つようにと指導されます。

それから半月間、生理が来ないようにと祈りながらも、すでにお腹には赤ちゃんの卵がいるような幸せ気分で過ごします。

そして半月後、トイレに流れる血を見ながら、地の底まで落ちて行くような悲しみに暮れるのです。

この治療は1ヶ月やったら、次の月はお休みしなければなりません。

卵巣を休ませるためです。期待と落胆を繰り返しながら、今度こそ、今度こそと期待をつなげることで心を慰め、日々を過ごしていました。

これを一年間続けましたが、妊娠には至りませんでした。

「どうも妊娠しづらいようですね、人工授精に進みましょう」と医師にいわれ、人工授精の具体的な説明を受けている時、私は急に気分が悪くなり、診察室のベッドでしばらく横になりました。

その時はすぐに回復したのですが、その後、病院の待合室で待っていると気分が悪くなるということが、たびたび起こるようになりました。

そんなことを繰り返すうちに、病院に行くこと自体が怖くなりました。

病院に行くまでの電車やバスの中、路上、病院の待合室などで具合が悪くなったらどうしようか。

気絶してしまったらどうしようか。その不安は、すぐに恐怖に変わっていきました。

診察の予約のある日、どうしても家から出ることができなくなりました。

キャンセルの電話をするにも、なんと説明していいのかわからずに、「行かれないのです」とただ繰り返しました。

自分はおかしい。普通じゃない。今は不妊治療どころではないのかもしれない。

もう自分一人では抱えきれなくなり、ここまできて初めて実家の母にすべてを打ちあけました。

母はすぐに来てくれて、精神科へと連れて行ってくれました。

診断は「不安神経症」でした。

精神科の医師に会った私は、今すぐにこの不安から解放してほしいと泣きつきました。でも、そんなに簡単にいくわけもありません。

カウンセリングと投薬治療で「気長に治療していきましょう」との医師の言葉は、私にとって死刑宣告のように思えました。

せっかく人工授精ができる段階になったというのに。気長に休んでいたら、このまま不妊治療をするチャンスを失ってしまう。

結婚後、5年半が経とうとしていました。

治療の両立

一人で崖に座り海の遠くを見つめている女性出典:Weheartit

カウンセリング、自律訓練法や行動療法、それと服薬とで不安神経症の治療を行うこと一年。

まだ完治はしていませんでしたが、不妊治療を再開しました。

精神科の医師からは、「できることなら不妊治療はもうしばらく休んだ方がいい。不妊治療が功を奏し、妊娠、出産となれば、精神の状態が今よりも悪くなる可能性が大きい」と言われていました。

それでも、不妊治療をこれ以上休むことはできませんでした。

日々、歳をとるごとに妊娠の可能性は低くなってしまう。そう思うと焦る気持ちがどんどん増して、かえって精神的に追い詰められてしまいそうでした。

精神科の医師は、そんな私の気持ちに呆れながらも、「不妊治療が少しでも楽に続けられるように出来る限りのサポートをしましょう」と言ってくれました。

不妊治療が再開した当初は、待合室で待つこととの戦いでした。

精神科の医師に処方されている頓服を左手に握り締め、右手にはペットボトルを持って、「いつでも飲める」と自分をなだめながら順番を待ちます。

それは悲壮感ただよう姿だったのでしょう。

ある時、同じように不妊治療に通っているひとりの女性から「気分が悪いのですか」と声を掛けられました。

声を掛けてきた女性の顔を見て、すっと力が抜けたのを覚えています。

ペットボトルの水をひと口飲み、「大丈夫です」と答えた声は自分のものでした。ああ、私はここにいる。と実感しました。

それまで、大勢の人がいる中でも、自分一人の戦いを自分の内で繰り広げ、周りの人達は全て無関係だと感じていましたが、ふと見れば、回りには自分と同じ願いを持つ人が沢山いたのです

それからの通院は、少しずつ楽になっていきました。

人工授精の結果

運転中あふれ出てくる涙が止まらない女性出典:Weheartit

ようやく人工授精ができるまでにこぎつけました。

排卵に至るまでの行程はタイミング法と同じですが、人工授精の場合は夫婦生活を持つよりも、より確実に精製された精子が医師の手によって子宮のなかに入れられます。

ぐっと妊娠の確率が上がるような期待が膨らみます。

が、この人工授精を2年間で10回行いましたが、全て残念な結果に終わりました。

人工授精もうまくいかないとなると、不妊治療のステップも、残すところ体外受精だけとなります。

検査を始めてから、すでに5年半、結婚してからはもう8年半という時間が経っていました。

体外受精での妊娠率は三割程度と言われていて、他の治療に比べるとかなりの高確率でした。

それゆえにハードルは高く、すぐに体外受精へと進む踏ん切りがつきませんでした。

これだけ不妊治療をやっておいて言うのもなんですが、体外受精は神の領域を犯すようなイメージを持っていたのだと思います。

自分が母親になっても本当にいいのか。

その資格が自分にはあるのか。

その自信がありませんでした。

段ボール箱に生まれたばかりの赤ちゃんを入れて、その段ボール箱を大切に大切に押入れにしまいます。

ふすまをしめて、私は買物に出かけます。

買物から帰ってきてゆっくりとお茶を飲みます。

そして、ふと、赤ちゃんが押入れにいたことを思い出すと、血の気が引くほどの焦りと罪悪感が一気に押し寄せます。

這いずるようにして慌ててふすまを開け、押入れの中をのぞき込むと、赤ちゃんはかろうじて生きていました。

心底ホッとしてミルクを飲ませ、おむつを換えます。

そしてまた丁寧に段ボール箱に入れ、押入れにしまい込むのです。

そんな夢を当時、繰り返し見ました。

目が醒めて、ああ夢だ、と安堵するのですが、その夢を見るたびに、私はなぜ赤ちゃんを押入れに入れてしまうのだろうか、これは何を意味しているのだろうかと、考えるようになっていきました。

自分には子どもを育てる力は備わっていない。だからどんな治療を受けても妊娠しないのではないか。

そう思うようになっていきました。

友人と砂浜で騒いでいる様子出典:Weheartit

人工授精で病院に通っている時に、やはり不妊治療に通っている2人の女性と仲良くなりました。

同じ悩みを抱えるもの同士、時間の合う限り頻繁にお互いの家を行き来して、治療が失敗した時のやり切れない思いを慰め合いました。

それぞれが同じような孤独感を感じていたので、お互いの気持を理解し合える、最高の仲間ができたと喜びました。しかし、それもいっときのことでした。

その2人は治療をはじめてから日が浅く、その後まもなく1人が妊娠したのです。

「頑張ろう」と励まし合っていた私達の目標は、妊娠・出産です。

仲間のその願いがかなったのですから、祝福するべきなのです。しかし、彼女の妊娠を喜べない自分います。

そんな自分がいやでした。そんな時、残されたもう一人の友人が「流産すればいいのにね」と言いました。

その言葉は私を打ちのめしました。

自分は全く考えなかったか?

本当に彼女の妊娠を祝福できるのか?

無事に出産するようにと願えるのか?

自己嫌悪に苛まれました。

ますます、自分には母親になる資格はないと落ち込みました。

それから数ヶ月後、もう一人の友人が妊娠しました。

その人は電話で「つわりで苦しい」と嬉しそうに話します。

母子手帳をもらったとか、エコー写真が可愛いとか、健診にお金がかかるとか、毎日、毎日、電話がきては妊婦の話題が尽きません。

それにいちいち笑顔で対応する自分。

私は何をしているのだろうか。この人は数ヶ月前に「流産すればいい」と言っていたではないか。残された人の気持が分かるのではないか?

分かっていて私を苦しめているのか?

不安神経症で外に出るのが得意ではない私にとって、自分の家だけは大切な空間でした。

その大切な我家に突如としてかかり始めたこの友人からの電話が、唯一の居場所を私から奪っていきました。

私は本当に子どもが欲しいと思っているのか。

不妊治療に成功したいだけなのか。

誰かと競って勝ちたいだけなのか。

自分が何を目指して頑張ってきたのか、見失っていきました。

新しい出発

橋の上から遠くを見つめて前向きな気持ちになっている女性出典:Weheartit

その友人の出産予定日の頃、夫が突然「引越ししよう」と言い出しました。

この土地を離れて、不妊治療の病院も変えて、心機一転はじめてみようと言うのです。

私の様子がどこかおかしいのを感じていたのかもしれません。

その時、「縁を切りたい人には、引越し先を教えなければいい。

電話番号も変わるくらい遠くへ引っ越そう」

という夫に、「体外受精のできる病院の近くに引っ越したいな」と私は答えていました。

引越した家はそれまでよりも狭いアパートでしたが、私は憑きものが落ちたような気持ちで生活ができるようになっていました。

「体外受精の治療は3ヶ月で1クール、通常は5回を目処に行います。5回やっても妊娠に至らない場合は、それ以上の治療はあまり意味がありません」と、新しい病院の担当の医師に説明を受けました。

最短で治療を進めたとして、1クールに3ヶ月かかり、それを5クール。

15ヶ月後には決着がつくことになります。

マルかバツか。どちらになるか分からないけど、長かったトンネルの先に、出口の光がかすかに見えた気分でした。

いままでの治療よりも強力な排卵誘発剤の注射に通い、採卵・胚移植のための入院。

その後はまた、着床を促すための注射に通います。

そして胚移植から2週間後に妊娠判定の検査をします。これが1クールです。

1回、2回、3回。最短のインターバルで治療を受けました。

さて、4回目はどうしようか。3回うまく行かなかった事の4回目には、どのくらいの勝算があるのでしょうか。

普通でないことが普通

ブランコに座ってぼーっとしている女性出典:Weheartit

夫と結婚してから、そろそろ10年が経とうとしていました。

私は30代の半ばになり、友達の子ども達は小学生になっています。

そんなある日、高校時代の親友と久し振りに会いました。

そして、結婚してから今までのことを打ち明けました。

不妊に悩んだこと。

不安神経症で苦しかったこと。

そのことで、友達を逆恨みしたり、疎ましく思ったこと。

不妊治療は現在も進行中であり、体外受精に3回失敗していること。あと2回の治療を受けるかどうか迷っていること。

そして何より、自分が普通でないことを自分が許せなかったことを、何のためらいを感じることなく、すんなりと話すことができました。

親友は私の話を黙って聞いてくれました。

普通って何でしょう。誰の人生にも山も谷もあります。

普通なんてものは、実はどこにもないのだろうと思います。

普通に見える人の心中にあるものは、本人にしかわかりません。どんな巡りあわせであれ、自分でそれを認め、そのうえで人生を楽しむ努力が必要です。

そうしなければ、自分の人生を楽しむことなど、誰にもできないのだと思います。

親友に打ち明け話をしながら、私は涙が止まりませんでした。

四回目の体外受精

道路の黄色い線をたどって歩いている女性出典:Weheartit

夫と相談して4回目の体外受精をすることにしました。

妊娠が不可能な年齢になったときに後悔はしたくない、だから最後までやっておこうと決めました。

泣いても笑っても、あと2回です。

4回目の採卵・胚移植をしてから2週間後、いつものように妊娠判定のための採尿をして待合室で待つこと30分。

名前を呼ばれて診察室に入るなり、主治医が水戸黄門の印籠のように、私に向かって四角いものを掲げています。

先生の顔は笑顔。満面の笑顔です。

もしかして?もしかして? 

それから8ヶ月間、切迫流産に次ぐ切迫早産で妊娠のほぼ全期間を入院して過ごしましたが、37週目に元気な双子の女の子の母になることができました。

最後に

パーティーに参加するため家族でお洒落をして向かう様子出典:Weheartit

結婚して10年目の結婚記念日にようやく母になることができました。

未熟な私が母になるためには、それだけの時間と経験が必要だったのだと今では思っています。

ちなみに、現実の赤ちゃんは、押入れの段ボール箱の中でじっとしていてくれるほどおとなしいものではありませんでした。

泣いて自己主張する我が子たちに追い立てられ、忙しくも充実した日々を過ごしながら、本当に大切な存在を、今度は本当に手に入れることができたと実感しました。

Top image via Weheartit

written by 直江

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