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2016年06月10日 更新 | 12,389 views

どうして育ってくれないの?4回の流産をした私が伝える「不育症」という病気[コラム]

夫婦で話し合い子供は3人欲しい、ということになりました。2人は無事出産し、2年後に3人目を身ごもります。11週目の検診日に赤ちゃんが動かず稽留流産となりました。その後3回にわたり妊娠をしましたが、稽留流産や胞状奇胎のため流産でした。後に不育症という病気を知ります。認知が遅れている不育症、ぜひ広く知っていただきたいです。

私も主人も子どもが好きなので、結婚後すぐに子どもは何人欲しいかと話し合いました。私は3人兄弟だったので、当然のように3人を希望。

主人は2人兄弟でしたが、主人が高校生の時に病気でお兄さんを亡くし、今は一人です。なんでも自分に降りかかり、兄弟で相談できないことを悩んでいたので、子どもたちにはそんな思いをさせたくないと、主人も3人の子どもを望みました。

結婚から1年後と、さらに2年後に子ども授かることができました。

無限ループの始まり

2番目の子が2歳になる頃、妊娠の兆候があり病院へ行きました。すると、妊娠。1番目、2番目の子どもたちの時と同様に、お腹の中に豆のような赤ちゃんが見え、やがて手足を動かす様子まで見ることができました。次の検診までに母子手帳をもらってくるように言われ、ウキウキで取りに行きました。

そして、母子手帳を持参して初めての検診の日。どこまで大きくなっているかなぁと楽しみにしながら診察台に乗り、診察が始まりました。でも、なぜか無言でエコーを続ける先生でしたが、やがて「赤ちゃんが動かないなぁ」と信じられない言葉が。

12週目に入っていましたが、おそらく1週間位前には亡くなっていただろうとの判断で、11週目の稽留流産となりました。

一瞬真っ白になった私の頭の中は、すぐに「なんで私が?」「体を冷やしちゃったかな?」「つわりでごろごろ寝てばかりいたのが悪かったのかな?」など、疑問と後悔でいっぱいになりました。

流産手術の後、先生からは10人に1人の割合で流産はあるものだし、たいていの場合赤ちゃんが染色体異常などで生き続けることができないために起こるから、母親のせいではないこと、そして1回の流産では原因については調べる必要はないことなどが話されました。

そんなもんなのかなぁ、と先生の話を信じ、次のチャンスに期待しようと思うことにしました。しかし、赤ちゃんが手足を動かす姿まで見ていたので、なかなか気持ちの切り替えができず、このままなかったことにはできないと思い、遺体はないもののお寺で供養してもらいました。

2回目の流産

それから2年ほどして、再び妊娠しました。検診に行ってみると、今まで見てきた豆の形のようにきれいな形の赤ちゃんではなく、なんだかぼやっとはっきりしない上、心拍も見られませんでした。明らかに今までとは違う感じでした。胞状奇胎(通称ぶどうっ子)の疑いがあるとの診断で、次の検診まで様子を見ることになりました。

結局、次の検診でも成長の速度は遅く心拍もありませんでした。そのため、胞状奇胎の疑いということで手術を受けました。

胞状奇胎は、元は胎盤になるはず細胞が、水胞状になりながら細胞分裂を繰り返す病気で、子宮に残っていると予後が悪く、最悪ガン化してしまう病気です。

そのため、病原体が残らないように稽留流産と同じ手術を1週間おきに2回受けました。摘出したものを検査にまわし調べてもらいましたが、結局のところ普通の稽留流産でした。

手術後の先生の話では、2回目までは流産の確率が高いので、まだ習慣性流産とは言えないけど、次流産するようなことがあれば調べましょう、と言われました。

今思えば、この時点で検査をお願いしするべきでしたが、そこでも無知な私は、先生の言葉に納得してしまいました。

3回目の流産?

さらに1年半後妊娠しました。つわりがとてもひどく、赤ちゃんはエコーの写り方が明らかにおかしくて、成長もしませんでした。

この時も何度目かの検診で稽留流産と診断を受け、3回目の手術を受けました。

しかし、この時は子宮から採取したものを検査した結果、今度は本当に胞状奇胎でした。顕微鏡レベルだったらしく、エコーや手術の時点でも先生たちは気づかなかったとのことでした。

そのため、1度しか手術を受けませんでしたが、さほど大きくなっていないことから大丈夫だろうとの判断でした。

この病気の場合、妊娠判定に使われるhCGというホルモンの値が、妊娠していないにもかかわらず高いのが特徴です。なので、最低半年間は月1回の血液検査が必要となり、陰性化するまで妊娠できないことになりました。なぜなら、病気でホルモン値が高いのか、妊娠したことによって高くなったのか判断できなくなるからです。

幸いにも、検査のたびにホルモン値は下がっていき、半年たつ頃には陰性化することができたので、そこで完治と判断されました。そして、この時は胞状奇胎という病気で、流産ではないため、それ以上の検査はしませんでした。

最後の望み

それからさらに1年後(1度目の流産から5年後)、幸運にも妊娠することができました。年齢的にも、これで最後かなぁと思っていたので、妊娠できた時にはとても嬉しかったです。

検診に行くと、またぼやっとしか写りません。心拍もなしでした。まだ、週数が早いからかもしれないということで、次の検診に望みをつなぎました。

その間、つわりがひどくて食事が喉を通らず、2日おきくらいに点滴を打ちに病院に通いながら、毎日赤ちゃんが育っているか心配ばかりしていました。

そして、もう当然心拍が見えてもいい時期の検診になりました。けれども、心拍は確認できませんでした。結果は3回目の稽留流産でした。 最後だと思っていたので、気持ち的にダメージがひどく、先生から原因の検査をしますか?と聞かれても、頭を振ることで精一杯でした。

人前で泣くことが恥ずかしく、今までの流産の時は泣くことはありませんでしたが、この時ばかりは我慢できませんでした。

手術を終え、数日たって少し落ち着いてくると、今までの妊娠と流産の繰り返しを振り返ることができました。3人目の赤ちゃんを産んであげることができなかったなぁ、と残念な気持ちとともに、もう産まなくてはいいんだぁ、と肩の荷がが下りた気分になりました。3人を授かりたいという希望から、3人を産まなくてはならない、と自分自身でプレッシャーをかけていたことに気付きました。

赤ちゃんだけのせい?

そんなことで、2人出産してからの3回の稽留流産と1回の胞状奇胎で幕を閉じた訳ですが、半年ほどして何気なく見ていたテレビ番組で、繰り返す流産が自己免疫疾患の症状の1つあることが言われていました。

ピンときて、ネットで調べてみると、やはり流産を繰り返す自己免疫疾患があることや、妊娠できてもお腹の中で育てることができない「不育症」という病気があることを知りました。

もう少し早く知っていれば、助けてあげれた命があったかもしれない・・・。後悔しかありませんでした。検査に積極的ではなかった病院と、無知だった私。最悪の組み合わせだったのかもしれません。

しかも、病院でも不妊症のことについての読み物はあったのに、不育症に関しては全くなく、気付くことができませんでした。

もし、自己免疫疾患だった場合、病気そのものの治療が必要になるので、自己免疫疾患の一部の血液検査をしてもらいました。結果は、陰性でした。

最後に

私は、これ以上の原因追求も不妊症・不育症治療もやるつもりはありません。しかし、不育症のことをもっと早く知りたかった!その一点につきます。

もし、流産に悩む方の中で、不育症を知らない方がいるのなら、このことを広く知ってもらいたいです。そして、救える命を1つでも多く助けてあげて下さい。

written by あーるぐれー

※ 記事の内容は、医学的な正確性、効能、効果を保証するものでなく、かつ、記事の利用においてはしかるべき資格を有する医師や薬剤師等に個別に相談するなど読者の責任において行ってください。

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