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2016年11月23日 更新 | 1,975 views

あがり症と吃音がひどくなり、嘔吐恐怖症、出社拒否に。辞職しても8年続く症状が改善したのは……[体験談]

人前に立つのが極端に苦手な私。社会人になって任された仕事は営業部の電話番でした。電話がなる度に脂汗をかいてしまい、内線まで怖いと思うようになってしまいました。そのうちプレゼンなどを任されたり、苦手な事ばかりやらされるうちに、自分の中で処理しきれなくなってしまい、とうとう精神的に追い詰められ体調を崩すようになってしまいます。

岩の上に座る女性出典:Weheartit

希望する大学に猛勉強の末、入学しました。

思春期の頃から少し人見知りで内向的になっていった私は、極度に人前に立つのが苦手です。

特に、プレゼンテーションや自分の考えを発表するのが苦手でした。

はじめは、ただ人前に立つのが恥ずかしく上がってしまうだけでしたが、そのうちに自分の言ってることが間違っていたらどうしよう、変なこと言ってないかな、などと気にしているうちに、手が震えてしまったり、声がうわずってしまう、噛んでしまう…変に思われてないかな、と苦手意識が倍増していきました。

就職難と苦手な部署への配属、吃音が心配な私が電話番……パワハラセクハラ上司に同行

白いセーターを着た女性出典:Weheartit

就職が厳しい時期に、なんとか就職先を見つけられてホッとしたのも束の間、配属されたのは営業部内の内勤でした。

新人の役目は、電話番。

話すことを武器とする営業部の先輩方の中で、電話のコールが鳴るたびに脂汗をかきました。

長い会社名と部署名を言うたびに噛んでしまい、ビクビクして過ごし、そのうちに内線すら怖くなりました。

それでも、新入社員研修として、セミナーでディベートすることがあったりと、なかなか苦しい日々が続き、正直、仕事の内容よりも吃音のことばかり考えている日々でした。

そんな自信のない私を営業部の先輩たちはパワハラ、セクハラで有名な上司と同行するようにと言いました。

外回りの度に、私がプレゼンを任され、全部読み上げる形でどうにかこなし、無理矢理接待やカラオケに付き合わされることもありました。

嫌なことでも付き合うのも仕事! と一般的に言いますが、吃音というコンプレックスを持っている私にはとても深刻な問題で、しかも仕事の内容以外の部分でまでも求められるのはキャパオーバーでした。

段々崩れてくるメンタル、ストレスが体調に現れ始めて。過多月経、吐き気、過呼吸に

寂しげな女性出典:Weheartit

どうにか通勤していましたが、ある日、通勤途中に過多月経になり、大量に出血しました。

もうその頃には、心身ともに疲れ果てていて、体調に影響が出ていたのでしょう。

それからは、朝がとても辛くなりました。鬱症状になっていました。

それでも出社しようと家を出ますが、今度は駅の改札で動悸が激しくなって、なかなか通過出来ない、電車がホームに入ってきても、その扉を見ただけで吐き気がする……いくつか電車を見送り、やっと乗って会社のある駅に付き、それでも苦しくて、交差点や角を曲がるたびに吐き気に襲われました。

本当にやっとの思いで会社につくので、家を出た時間の割に遅刻ギリギリの時間になってしまいます。

それもプレッシャーになり、吃音、あがり症というだけで、なんでこんなにも社会人生活は苦しいんだ! と毎日嘆いていました。

心療内科に駆け込んで……何が何だか分からない、自分のことなのに自分の身体が1番分からない

悲しそうな女性出典:Weheartit

そして、いつも通り会社へ向かおうとしたある日、駅の改札で「もう無理だ!」と踵を返し、心療内科に飛び込みました。

そこから、私の心療内科ジプシーが始まります。

まず、なんでこんなに気持ち悪くなるのか分からないし、凄く困っているけれど問題があいまいすぎて、全部自分が弱いのが原因なんじゃないか? 病院にかかるほどのことなのか? と混乱していました。

心療内科というところが、どういう治療をするところかも分からず、「ただ困っている」、伝えられるのはそれだけでした。

そんなに困って混乱している状態を、私は上手く言葉にして伝えるのが苦手なので、どうにも伝えられない感じ、伝わらない苦しさをまた味わいました。

そんなに自分の状況が分からないのに心療内科は主に問診で診察するのですから、また悪い癖で、「ごめんなさい。何言ってるか分かりませんよね……」とオドオドするばかりでした。

たまたま飛び込んだ地元の心療内科は先生が曜日ごとに当番で通っているタイプで、私が初めて診てもらった先生は研究室を出たばかりの様な頼りなげな先生で、パソコンにカルテを打ち込むばかりで安定剤を処方してくれただけです。

それが、私が初めて飲んだ精神安定剤になります。

無理がたたって嘔吐恐怖症に。会議が怖い……乗り物が怖い……狭いところが怖い

森林を歩く女性出典:Weheartit

吃音コンプレックスから始まった様々な不便な症状。

それらは私の毎日を窮屈なものに変えました。

心療内科で処方された安定剤を1日3回毎食後飲み始め、初めは心が平坦になるような気がしました。

仕事は続けていましたが、薬を飲んでいることを知られたくないと隠していました。

仕事の内容はどんどん責任のあるものに変わっていき、その都度人前に出る機会も増えました。

段々耐えられなくなり、今度は頓服を処方してもらいました。

会議や来客がある時には、給湯室でこっそり頓服を飲みました。

今思うと、隠すことでもないと思うのですが、皆が出来ていることを普通にこなせない自分自身がコンプレックスになっていました。

そんなある日、会議中に今まで味わったことのない動機と不安感に襲われました。

(吐いてしまうかもしれない!)焦りました。

隣の席の先輩に

「会議中にすみません。気分が悪いのでお手洗いに行っても良いですか?」

と訪ねると、何も知らない先輩は

「あー……大変だね。でも、もうちょっとだけ我慢出来ない? 次、プレゼンだから、担当の箇所説明したらにしてもらえるかな。悪いんだけど、3分くらいで終わるから」

と小声で言いました。

私は、何も言えなくなってしまいました。

こんなに不安な状態で、混乱している状態で、もっとも苦手なプレゼンをしなくてはいけない、皆が見ている前で吐いてしまったらどうしよう、3分、3分だ、3分くらい我慢出来なくてどうするんだ、手に脂汗をかき、つま先から足はビリビリと悪寒が走りました。

顔面蒼白でなんとかプレゼンをこなしましたが、この逃れられない状況が、後々トラウマとなり私を苦しめ続けることになります。

それからというもの、不安=嘔吐という間違ったスイッチが入るようになってしまいました。

狭いところ、人が大勢いるところ、逃れられない状況に過剰に反応して、人前で嘔吐するのでは……という不安感が付いて回ります。

後々分かることですが、この嘔吐恐怖症は、閉所恐怖症と広場恐怖症からくる不安障害でした。

これらが、卵が先か鶏が先か、といった具合に複雑に絡み合って、身体的な不快感につながり、自分の身体の状況が自身でコントロール出来ない域に入ってきました。

吃音のコンプレックスから、メンタルのバランスがこんなに乱れるなんて思いもよりませんでした。

会議はもちろん苦手、電車やバス、公共の乗り物は苦手、エレベーターも苦手、酷い時は、買い物中、レジに並んだ行列に(待てるわけがない! 吐いてしまう! 早くお手洗いへ!!)とパニックを起こし、やっとの思いでカゴの中の商品を棚に返したこともありました。

また外を歩いている時に、急激な吐き気に襲われ、トイレがない! とパニックになり、近くにあった地下鉄の駅に駆け込み、電車に乗る訳でもないのにICカードを使って入り、お手洗いを借りたこともありました。

その時はトイレの個室内で、また外に出て吐き気に急に襲われたら……と思うと、なかなか外に出ることも出来ずにいました。

出社拒否……引きこもり症状、止まらない眠気、自暴自棄

寝ている女性出典:Weheartit

ついに出社拒否が始まりました。

最初のうちは、仮病など理由を付けて、電話連絡出来ていましたが、段々とそれも辛くなってきました。

次第に、親しい先輩は、異変に気づき始めたようでした。

連絡をしようとは思っているのに、気づくと寝坊しているような日もありました。

心身が疲れている自覚は合ったので、ああ……やってしまった……とは思いましたが、それがどっぷり鬱状態にはまっているとも気づけず、でも毎日無気力、無感動、以前はこうあるべき、と思っていたことさえも、どうでもいい……と思い、すーっと眠ってしまうことがしばしばでした。

ある日、先輩から、上司と3人で話そう、と言われました。

出社した日に都合をつけてもらい、今までのことを正直に話しました。

その頃、すでに会社勤めは一旦お休みした方がよいくらいに悪化していたのですが、やはり会社を辞めるかどうかの決断は周りがするものではないので、私はどうにか続けられるのでは……と考え、さらに悪化の一途をたどることになりました。

有休を全部消化し、それを超えて休むようになった時、さすがにもう無理なんだな、と思いました。

辞表を出すことに決めた時、先輩も上司も(やっとか……)という顔をしたのを今でも覚えています。

仕方ないことですが、協調性の無い、今時の打たれ弱い新入社員だった……という印象だったのでしょう。

簡単に言ってしまえばその通りです。

ですが、本当に自分にとっては深刻だったのです。

自殺しても不思議じゃなかった

暗い表情の女性出典:Weheartit

自殺衝動は、案外身近に潜んでいるのです。

通勤時間帯の人身事故ってとても迷惑に感じますが、私はその心境が分かります。

今はその衝動はないのですが、当時、すっかり自信喪失して身体感覚も把握出来ない私は、うっかり駅のホームに滑り込んでくる電車の勢いに、フラッと引き寄せられてしまう気持ちが良くわかります。

無自覚で強い力に引っ張られるのです。

それが薬のせいか、病気のせいかは分からないのですが、きっと鬱がそうさせました。

それでも、自分がやっぱりおかしい、本来の自分ではない、どうにか改善して生きていたい!という気持ちもわずかに残っていたので、病院探しは必死に続けました。

悪化していくばかりなので、かかっていた病院は信用出来ず、また病院を変えて……を繰り返し、すっかり疑心暗鬼になりました。

不安感に襲われてパニックになることが多かったので、私はパニック障害なんだと思い込んでいました。

わざわざ遠方のパニック障害専門の病院まで通ったこともありました。

セミナーも受けました。

長く電車に乗る時は、片道1時間のところでも、2駅乗ったら降りる、苦しくなった降りる、をしてやっと辿り着くので、早朝に出発して4時間くらいかけていました。

苦労してかかった病院でも、誤診の末、てんかんの強い薬を出され、ますます眠気に襲われる日々でした。

昼夜逆転して、ぼうっとしていて、フワリと窓から飛び下りる想像がよぎったり、死のう、死にたい、なんて思っていなくても、そういう不思議な感覚にとらわれていた時期で、食事もろくに取らず、ほとんど眠っていました。

生活をガラリと変えて立ち直る道に。身近な人を頼る、1人になりたいときこそ1人でいない!

花冠を被る女性出典:Weheartit

それまでの私は、コンプレックスをひた隠しにし、自力でどうにかしようとし、凄く気が弱いくせに他人に弱みを見せられなかったのです。

それが吃音コンプレックスだけでなく深刻な不安障害にまで発展してしまいました。

他人に上手く頼ることが出来ない、つまり他人を信用出来ない人間だったのかも知れません。

社会人になり、1人暮らしをして自立していこうと踏ん張っていましたが、実家に電話をかけ「こういうわけだから、実家に帰るね」と連絡しました。

父が1人暮らしのアパートまでトラックで駆けつけてくれて、早々に引っ越しは完了しました。

母に病院についてきてもらうこともありました。

途中下車しても良いからね、と根気よく付き添ってくれました。

病院での問診も、客観的な立場で一緒に受けてくれるので頼もしかったです。

そして、両親は、当時長くお付き合いしていた男性との結婚を勧めてきました。

私は、こんなに駄目な状況で結婚なんて……と思いましたが、男性は快諾してくれました。

身近な人たちのさりげない支えが、私の気持ちを段々と柔らかくしてくれました。

改善! に見せかけて、実は落とし穴。新婚生活の油断……

ドレスを着て走る女性出典:Weheartit

男性と結婚し、親元を離れることになりました。

これからは、仕事も出来ることをゆっくり探してみよう、と思いました。

心療内科ジプシーは相変わらず続けていましたが、はっきりと診断名も出ずに安定剤を処方されるばかり「結局、安定剤だけの対処療法なんですか?」と生意気なことを言って、心療内科に見切りを付けてしまいました。

それから、自分で嘔吐恐怖のおこらないような状況ばかり選んで暮らしました。

自宅勤務が出来る仕事を選びました。

自己責任なので、仕事はきっちりこなしました。

それで徐々に自信回復はしましたが、ベースには引きこもり的な生活が続いていました。

それでも暮らしては行けます。

しかし、根本的な解決はしていないことに私は気づいていませんでした。

その後も、やはり苦手な場面というのは付きまとってきます。

この安定した引きこもり社会人生活が充実していたのは、それから4年間でした。

すっかり油断して、自己判断で治療をやめてしまった私は、妊娠出産でまた苦手に直面します。

閉所、広場、嘔吐恐怖症が着実に私の中で根を張ってしまい、年季の入ったものになってしまっていました。

その苦手をさけるためのルールを自分で決めて、それをしないと恐怖に陥る、安全行動と回避行動にすっかり依存してしまったのです。

これが、私の行動をギチギチに制限することになりました。

出産や大掛かりな歯科治療を受ける度、ことある毎に医師に説明し、特別な処置をとってもらうので、いちいち大事になってしまうのでした。

それでも、自分1人、単独で動けるうちはどうにかなっていましたが、出産し育児をして、子供を連れ歩くとなるとそうはいきませんでした。

子供と一緒に家に引きこもっているわけには行きません。

外出する機会が増え、自分よりも子供のペースで動くことが増えるにつれて、昔の嘔吐恐怖症の感覚が蘇ってきました。

初めに発祥した頃から既に8年経過していました。

一般的に、心身のストレスの治療は、患った期間とおなじだけかかると言われます。

最初の2年くらいで真剣に治療に取り組めば、こんなに根深いものにならなかったのかもしれませんが、自己判断により今ではパーソナリティーのようになってしまっています。

信頼出来る医師との出会い、自分をしっかり見つめ直し自分を知ることの大切さ。

仰向けに寝る女性出典:Weheartit

初めは単なるコンプレックスでした。

あがり症、吃音……今では、「ごめんね、ちょっと変なこと言ったかな?」と自然に言えます。

昔よりも、でも自分はこう思う、という意思表示がしっかり出来るようになりました。

他人と会話して誤解が生じても修復可能だということに気づけましたし、また他人は待ってくれる、ということも知りました。

自分なりに誠意をもって、言葉の限りをつくしたら、言葉通りでなくても、不器用でも真意は伝わるものだ、と最近では実感しています。

色々と苦労した時期が長かったので、その分、自分の間違っていたところ、他人の親切心など、冷静に見極められるようになりました。

時間はかかってしまいましたが、コンプレックスと向き合うこと、認めることは苦しいけれど大切です。

そして、つまづいた時こそ自己流で解決しようとせず、他人に頼ることが重要です。

最近、私は心療内科での治療を再開しました。

今までの医師とは全く違う、丁寧で科学的な先生に出会えました。

自分自身が自分の何をコンプレックスに思っているのか、何で不自由しているのかを、冷静に聞き取り分析してくれます。

また、私のような疑り深い性格を理解してくれて、きちんと症状を説明してくれます。

ただの思い込みではなく、深刻な症状であること、少しずつ手順を踏んで直していくこと、その方法を納得させてくれるので、安定剤を使う意味も明確になりました。

やはり、ただ感情に流されるよりも、自分自身をしっかり見つめ直し、受け入れる部分と克服する部分を把握することが大切だと実感しています。

気づけば嘔吐恐怖はまだありますが、あがり症も吃音も、さほど問題ではないとまで考えられるようになりました。

そのコンプレックスの産物をこれから地道に克服していく予定です。

やっと、行動療法にも前向きに取り組めそうな予感がしています。

Top image via Weheartit

written by memementama04

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